本日、ここに、ご来賓並びに多数の保護者の方々をお迎えして、徳山工業高等専門学校第28回卒業式及び第10回専攻科修了式を挙行できますことは、本校教職員並びに在校生一同の大きな喜びであり、ご臨席のみなさま方に対し、心からお礼を申し上げます。
ただいまご覧いただきましたように、それぞれの課程を修めた卒業生130名、専攻科修了生19名、合わせて149名の若者が、本日、この学舎から、新しい道を求めて、巣立っていくことになりました。彼らの新しい門出を迎え、これまで彼らを支え、励まし続けて頂いた保護者の方々、関係者の方々のお喜びはいかばかりかとお察し申し上げます。みなさま方のお力添えに対し、本校を代表して、改めてここに、感謝の意を表させて頂きたいと存じます。
卒業生の中には、インドネシアからの留学生デラジャトさんがいます。母国に思いを馳せながら、徳山高専において勉学に励んだ、その向学心と努力に対して、お国の国旗を日の丸とともに掲げることにより、敬意を表したいと思います。同時に、彼を暖かく育んでくださった地元周南地域のみなさま方に、彼とともに、感謝の思いをお伝えいたしたいと思います。
卒業生、修了生のみなさん。おめでとうございます。
今、みなさんは、ここ徳山高専で過ごした日々のことを、それぞれに感慨深く思い出しておられることと思います。私自身も、たった今、みなさん一人一人に、卒業あるいは修了の証書をお渡ししながら、胸の中をよぎるものの多さとその熱さに、とまどうような思いでした。また、みなさんの中には、新しい道に挑もうとする者の常である、かすかな不安を感じている方がいらっしゃるかも知れません。旅立ちにあたって、そのような不安を抱くことは、誰しもあることです。
しかし、一つはっきり言える事があります。それは、今、みなさんの胸の内に去来しているであろう、この数年間の徳山高専での生活。その中で、伝え、伝えられたこと、共に作ったこと、競ったこと、そういった諸々の活動を通じてみなさんが培ってきた力は、みなさん自身が感じている以上に強く、大きいものであるということです。その力をもってすれば、遅かれ早かれ、新しい道を、自信をもって歩いていけるようになるはずです。私は、いえ、私だけではありません、今日ここにお集まりの方々は皆、みなさんがそういう力を身につけたことを感じ、確信し、そして誇らしく思っているのです。
そのようなみなさんに、いまさら、この場で、多くを付け加える必要があるとは思えません。したがって、これからのみなさんの将来への期待をこめて、一つだけ、お話したいと思います。それは、「自分自身を知るために学べ。」ということです。
紀元前四世紀に建造された、古代ギリシャのアポロンの神殿の入り口には、「汝、己を知れ」という言葉が刻まれていたそうです。その言葉の意味するところについては、二つの解釈ができます。
一つは、「お前は、神ではなく人間なのだ。」という思い上がりを諫める神の言葉であるという解釈です。人間は、永遠に生きることができるわけではありませんし、この世の中のことをすべて知ることもできません。全能の神ではなく人間である自分の限界を認識せよということです。
もう一つの解釈は、「自分の価値を認識せよ。」という自覚を促す言葉であるというものです。自分という人間は、この世の中にはもちろん、過去にも、遠い将来にも、唯一人しかいません。ですから、この世の中に生まれた唯一の存在である自分というものの価値を認識しなければいけないということです。
この二つの解釈は、一方は人間の「限界」を、他方は人間の「価値」を自覚せよといっているわけですから、一見正反対のようにも思えます。でも、「人間は、この宇宙の中に、一人ポツンと存在しているわけではない。」ということに思いを致せば、同じことを言っているのではないかと思うのです。
つまり、人間は、一人一人に限界があるから、社会を形作り、歴史を積み重ねてきたのです。同時に、その一人一人が、それぞれの個性ある価値を発揮するから、社会は発展し、よりよい未来を期待できるのです。
「汝、己を知れ」という言葉は、人間は全能ではないからこそ、社会や未来に対して、どんな価値ある働きかけができるのかを、自らに問い続けなければならないということを言っているのだと思います。そして、この「汝、己を知れ」という言葉が、他の言葉に先駆けて神殿の入り口に刻まれていたのは、「自分を知る。」ということが、人間の活動の規範として、最も基本的で重要なことだからなのだと思うのです。
では、自分を知るために、私たちは何をすればいいのでしょうか。自己分析や瞑想など、静かな心をもって自分の内面を見つめることも大切です。しかし、それだけでは、自分を知ることはできません。
私たちは、家族、地域、国、そして世界との関わりの中で生きています。また、過去から未来に向かって営々と営まれている人間活動の流れの中で生きています。ですから、それらと離れて自分を知ることはできません。いえ、社会や未来に対してどのような価値を自分が提供できるかを知ることが自分を知ることなのですから、むしろ、社会や歴史と離れては、自分を知ることの意味そのものがないとも言えます。
ですから、自分を知るためには、社会のあるがままの姿、歴史の中の教訓、そして、それらから、未来を洞察する術をも学ばねばなりません。それも、単に知識として学ぶだけではなく、他人との関わりの中で学んでいくことが大切です。
みなさんは、本校において様々なことを学び、既に、技術者として持つべき基本的な素養を身につけています。そして、これから、仕事や研究を通じて学ぶことも多いでしょう。それによって、みなさんの価値はますます高まっていくはずです。
でも、みなさん自身の内に持っている価値は、社会の中で、未来のために活用されて初めて、価値となるものなのです。しかも、社会は、時々刻々と変化し、また、拡大していっています。
そのように変化する社会との関わりの中で、自分に何ができるのか、自分が果たすべきことは何かを、探り、吟味していくこと、これが、「学ぶ」ということなのです。そして、学びを通じて、社会の中に自分の価値を見つけることが「自分を知る。」ということであり、その価値を未来のために役立てることを「生きる。」というのだと思います。
繰り返します。技術者として技術力を高めるために学ぶことは当然ですが、自分を知るために学ぶということも忘れないでください。学校を卒業して社会に出るということは、自分を知るための新しい学びの場に一歩踏み出していくことなのです。どのような場所においても、どのような状況の中でも、「学ぶ」という心を放棄しない限り、みなさんは輝いていられると信じています。
さて、みなさん。ご存知の方も多いと思いますが、お隣の徳山大学と徳山高専の敷地の住居表示を「学園台」に変更する手続きが進んでいます。これは、この地域を、周南地域に住むみなさんの学びの場として、広く活用して頂こうという思いを込めたものです。本日は、徳山大学の杉光学長にも、お越し頂いておりますが、杉光先生も私も、この地が、将来にわたって、みなさんと共に学び続ける場所として、発展していくことを期待しています。
住所が変わっても、みなさんがここ徳山高専に残した足跡が、消えることはありません。そしてここで知り合った仲間達は、みなさんの将来を、期待を込めて、見つめ続けているのです。ここで学んだことに、自信と誇りを持って、それぞれの道を力強く歩んでいってください。
最後に、みなさんにお会いできたこと、そしてみなさんの門出に栄誉ある役割を果たすことができたことに、心から感謝して、式辞といたします。
平成18年3月10日
徳山工業高等専門学校長
天 野 徹
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